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名古屋地方裁判所 昭和49年(わ)420号 判決

主文

本件各公訴事実につき被告人はいずれも無罪。

理由

第一公訴事実の要旨

本件各公訴事実の要旨は、別紙「公訴事実の要旨」記載のとおりであるが、要するに、被告人が分離前の相被告人山下こと石橋典哉、同山田こと姜達呈及び同古賀一實らと共謀のうえ、その代金支払の意思も能力もないのに、あるように装うなどして取引先を欺罔し、昭和四七年一一月二〇日ころから同年一二月中旬ころまでの間、前後一五回にわたり、山梨県中巨摩郡甲西町落合一、一五〇番地丸三製罐製作所こと深澤睦雄外七名から、衣裳罐など合計一、一三二点(時価合計四、四二五、〇九一円相当)の家具を取込み騙取したというもので、いわゆる取込み詐欺の事案である。

第二当裁判所の判断

一  証拠上明らかな事実について

以下の各事実は、各公判廷において取調べたすべての証拠に照らし、きわめて明らかなところである。すなわち、分離前の相被告人山下こと石橋典哉(以下たんに石橋という。)及び同山田こと姜達呈(以下たんに姜という。)の両名は、昭和四七年七、八月ころ、会社組織を利用して大規模な家具の取込み詐欺をしようと計画し、共謀のうえ同年一〇月末ころ、当時倒産休眠中であった昭和橋商事有限会社を、有限会社協同ファニチャーと商号変更登記し、石橋の使用人であった分離前の相被告人古賀一實(以下たんに古賀という。)を同社の名目上の代表取締役、石橋を同社取締役、右姜及びその使用人であった被告人を各従業員とする形式で発足させたけれども、同社の実質上の経営者は右石橋及び姜の両名で、被告人は名実ともにまた名目上は同社の代表取締役であった古賀は実質的に、前記石橋及び姜の両名の指示のもとに家具の注文、販売に従事する従業員であるに過ぎなかった。石橋及び姜の両名は、古賀及び被告人を仲間に引き入れるに際し、条協同ファニチャーが家具の取込み詐欺を目的とする会社である事実を明かしたことはなく、また、同社発足後、あからさまにこれを告げたことはなかったけれども、古賀はその後間もなく、協同ファニチャーの資産状況、取引状況さらにはその実質上の経営者である石橋の資産状況及び姜の言動などに照らし、同社が家具類の取込み詐欺を企図した会社であることを察知した。しかしながら古賀は、かつて石橋に使用されていた当時に、自己の仕事上の失策で同人に多額の負債を負わせたことがあったというひけめなどから、自らも右取込み詐欺に加担してもよいという気持になり、石橋、姜の両名と暗黙のうちに意思あい通じ共謀を遂げるに至った。右古賀及び被告人は、石橋及び姜の指示に従い、昭和四七年一一月二〇日ころから同年一二月中旬ころまでの間、前後一五回にわたり、おおむね、別紙「公訴事実の要旨」記載のような言辞をもって同記載の相手方に対し家具類の注文をし、よって、同年一一月二三日ころから同年一二月二七日ころまでの間、右相手方らをして、別紙「公訴事実の要旨」記載の各家具類を協同ファニチャーに納入させた。以上の事実が明らかである。

二  争点に対する判断

被告人は、当公判廷(第二回及び第六回公判)において各公訴事実記載の外形的事実は、いずれもこれを認めたが、他の三名の共犯者と、意思あい通じ共謀のうえ、取引先から家具類を騙取したことはない旨、犯意及び共謀の事実を否認する趣旨の陳述をし(なお、被告人はその後、当初認めた外形事実の一部についてもこれを争うに至っている。)、弁護人もまた、右被告人の供述と同様の立場から、詳細な弁論を展開した。ところで、前記のとおり、当公判廷において取調べたすべての証拠を総合しても、本件において、被告人と他の共犯者の間で、事前又は犯行の途中において、明示的な共謀が行なわれたという事実については、全くこれをうかがわせるに足りないので、(検察官ももとよりこのような態様の共謀の存在を主張しているものではない。)被告人に対し、本件各公訴事実についての刑責を問うことができるのは、被告人がいま一人の従業員であった古賀と同様に、協同ファニチャーの取引の形態や他の共犯者の言動等から、同社の取引が正常な家具類の取引でなく、代金の支払の意思及び能力がないのにこれあるように装ってするいわゆる取込詐欺を目的としたものである事実を察知しながら、あえてこれに加担していった場合のように、被告人と他の共犯者との間で、右公訴事実記載の行為が行なわれるより前に、(あるいは、少くともこれが終了する以前に)暗黙のうちに意思の連絡が形成されていたと認めることができる場合だけであることは、多言を要しないところであろう。

もとより、本件における検察官、弁護人の攻撃防禦は主としてこの点に集中された。そして、当裁判所は右のような訴訟の進行にかんがみ、検察官、弁護人双方の激しい攻撃防禦にさらされたすべての証拠の内容を仔細に検討し、双方の弁論の内容にも謙虚に耳を傾けたうえ、被告人が右に述べた意味において他の共犯者の詐欺の意図を察知しながらあえてこれに加担したと認めるべきであるかどうかについて慎重な検討を加えたのであるが、結局においてこの点を積極的に認定するには、証拠上疑問の点があまりに多く、本件につき合理的な疑いをさしはさむ余地のない程度にその証明があったとは認め難いという結論に達したものである。以下、当裁判所の心証概略について説明を加えることとしよう。

(一)  本件において、被告人の犯意及び共謀の事実を積極に認定すべき主要な証拠としては(1)被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書(とくに48・12・5付以降のもの。以下被告人調書という。)(2)姜達呈の司法警察員(48・12・8付、12・14付、49・1・29付)及び検察官(49・1・8付)に対する各供述調書(以下一括して姜調書という。)(3)古賀一實の司法警察員(48・11・27付)及び検察官(48・11・21付、49・3・15付)に対する各供述調書(以下一括して古賀調書という。)等がある。その内容の要点は検察官の論告要旨に摘録されているとおりであるが、要するに右(1)は①昭和四七年一一月一二、三日ころ、姜とともに徳島市へ商品の仕入れに行った際、同人の言動から姜が取込詐欺をしようとしていることがわかった。②その後同月一五日ころ、協同ファニチャーの事務所内において姜が古賀と私に言った内容から、姜の意図がはっきりわかったというものであり、(2)は①右徳島での仕入れの際、商品取込みの実地指導ということで出まかせをいって商品を引こうとしたので、小林も協同ファニチャーが取込み会社だと気付いたと思う②小林は協同ファニチャーの帳簿づけをしており、同社における金銭の出入れやダンピング等の事実から仕入商品の代金支払のために振出した手形が落ちるはずのないことがわかっていた筈であるというものであり、さらに、前記(3)は、①一一月一五、六日ころ、協同ファニチャーで姜が私と小林に「店には金がないから相手と商談するとき商品代金についてはオール手形で支払うと話してもらいたい……」などと商品を取込むことを教えてくれたので、その後はその指示のとおりに商品を取込んだ。②協同ファニチャーの会計はその場を切り抜けるだけでせい一杯で、振出した手形を落とす余地のないことは、会計をやっていた小林にはよくわかっていたはずである③小林が姜と徳島へ行って帰ったあと小林が「山田は大した男だ。……それはもう大きなことをいうのでそばで聞いていて冷汗が出た。」などというので、姜が小林に仕入れのテクニックを教えるためにそのようなことをいったのだと思った。というものである。そして、検察官は、これらの供述は全面的に信用できるものであり、これらによれば被告人の犯意及び共謀の事実は優にその証明が十分であると主張する。

(二)  すなわち検察官は、これらの証拠の上に立ち、被告人は当初、協同ファニチャーに就職した当時は、姜らの意図を知らなかったけれどもその後、(1)一一月一〇日すぎころ、姜とともに徳島市へ商品の仕入れに行った際の姜の言動及び同月一五、六日ころの協同ファニチャーにおける姜の言動などから、姜らの意図を明確に察知するに至った。(2)また、被告人は、当時していた帳簿づけの仕事などを通じ、協同ファニチャーの経理の実態を知っていたはずであるし、自らも仕入れた商品のダンピングなどに現実に関与しているのであるから姜らの意図を知り得なかった筈がない、との趣旨の主張をしているのである。ところで、被告人の詐欺の犯意とか、他の共犯者との暗然のうちの意思の連絡の有無というようなもっぱら行為者の内心の動きにかかる事項の認定に当っては、それが本来当該行為者のみが知り得ることであるため、時に自白の有無を過大に重視しがちであるが、しかし、自白とくに捜査官に対する身柄拘束中の自白は、一般にそれが証拠能力の要件である「任意性」に欠けるところのない場合であっても取調官の誘導や被疑者のこれに対する迎合等により、虚偽の入り込む余地なしとしないのであるから、かかる自白の証拠価値を判断するに当っては、それがなされるに至った経緯、取調べの方法等において、虚偽の自白を生むおそれのある事情が認められないかどうか、さらにはその内容自体においても、他の証拠から認められる客観的な事実関係に支えられた合理的なものであるかどうか等の諸点について、慎重な検討を必要とすると考えられる。

(三)  そこでまず、被告人の自白調書が作成されるに至った経緯について概観する。関係証拠によれば、被告人は昭和四八年一一月二七日本件公訴事実中加名市との取引関係の事実(別紙「公訴事実の要旨」別表6の事実)を被疑事実として逮捕されたが、当初は「仕入れ、小売り、帳簿の記帳などすべて姜と石橋の指示どおりにしていただけで取込み詐欺とは思わなかった。」旨、公判廷におけるとほぼ同趣旨の供述をし(48・11・28付警察官調書)その後翌二九日に約七時間、三〇日に約五時間、一二月一日に約八時間、一二月二日に約三時間の取調べを受けた後、一二月三日に至ってはじめて概括的に詐欺の犯意を認める供述をし(当日の取調時間は約六時間一五分)、翌四日さらに約七時間半にわたる長時間の取調べ(その終了時刻は午後一〇時四〇分)を経て、一二月五日ついに前記(一)に摘記したような犯意に関する具体的な供述をするに至り(なお、当日の取調べ時間の合計は一二時間に近く、その終了時刻は翌六日の午前零時に近い。)その後もほとんど連日のように長時間の取調べを受けて、その都度右同旨の自白をくり返していった事実が明らかである。

ところで、被告人は当時、持病の高血圧症に悩んでおり、最高血圧が常時二〇〇を越える状態であって、取調べの際にも度々、気分がすぐれないことを取調べに当った警察官藤原勝弘(以下、藤原又は藤原刑事という。)に訴えていた。右の点につき、被告人の供述と右藤原の供述との間には微妙なくいちがいが見られるが、第三〇回公判において取調べた各診断書等によって明らかな被告人の前記のような当時の血圧の状態に加え、右藤原自身被告人の気分がすぐれないということで取調べを一時中断したことがあったという事実を供述していること(第三三回公判における証人藤原勝弘の供述速記録四六丁。以下藤原供述三三―四六と略す。なお、他の証人及び被告人の各供述並びに公判調書中の供述記載部分を引用する場合も、右と同様の記載をすることがある。)、右藤原は、被告人から「昨夜めまいがした。」とか「目の前がまっくらになった。」などと訴えられたことはあるが、取調べ中にそのような状態であると訴えられたことはない旨供述しているけれども(藤原供述三二―三一、三三―四四)、夜間安静時に右のような症状に見舞われながら、健康人でも苦痛と思われる長時間の取調べに対して、被告人が全く肉体上の苦痛を訴えていなかったとはにわかに考え難いことなどに加え、第三〇回公判において取調べた医師菊池孝作成の意見書の内容をも考慮すると、被告人が藤原刑事の取調べに当って、種々健康上の苦痛に悩まされていたことは事実であろうと考えられる。なお、被告人の血圧が医師の診察によって、前記のとおりに確認されたのは昭和五〇年一二月二〇日頃であるが、右のような状態は、その時はじめて始まったものではなく、それ以前からもこれに近い状態であったと推認してよいとのことである(稲本供述三三―二九)。また、右稲本医師が、被告人を診察した結果「留置に耐えられる。」旨判断したのは被告人の高血圧症が激しい頭痛、めまい、肩こり、嘔吐等の急激な症状を伴う悪性のものではなく、病院へ移して治療するまでの必要はない。との趣旨に止まるものであり、右診断が長時間の取調べにも十分耐えられるという積極的な意味合いを含むものではない(稲本供述三二―一二~一四)のであって、右の点はそれ自体として採証上注意を要する点であるが、さらに前記菊池医師の意見書の内容とも比較検討すると、右稲本医師の供述の趣旨は、被告人が、直ちに入院治療しなければ生命に危険があるというほど(言いかえれば、直ちに勾留の執行停止をしなければならないほど)重篤な状態ではなかったという限度において、その証拠価値を認めるのが相当であり、被告人が高血圧症から来る頭痛、倦怠、眩暈等の苦痛から解放されていたとの趣旨まで含んでいると解すべきではないと考える。

つぎに、藤原刑事は取調べに当って他の共犯者とくに古賀や石橋がすでに素直に事実を認めているのに、被告人のみが容易に犯意を認めようとしないのにいら立ち、被告人の弁解に全く取り合うことなく、すでになされていた古賀の供述を前提として、被告人を極力誘導して供述させようとし(被告人供述三五―一三。なお、被告人の自白の核心をなす徳島での姜の実地指導の件やその後の協同ファニチャーでの姜とのやりとりなどはすでに古賀の48・11・28付警察官調書において語られており、藤原刑事も古賀の供述調書を手もとに置いて被告人の取り調べに当たり時にはこれを読み聞けたことを認めている。藤原供述三二―一五、三三―三)、被告人の弁解に対しては、「弁解がましいぞ。」とか「本当のことを言え。」などと言って厳しく追及し、時には声を荒げて机をたたいたりしたこともあった(藤原供述三二―六~七、一七、三三―二四~二五など参照)。のみならず藤原は被告人が容易に犯意を認めようとしないのに焦慮し被告人の内妻長内清美に対して、一方において被告人が本件をしぶとく否認している事実や被告人に詐欺の前科のある事実を告げ、他方において、警察署や自宅から特別の用事がないのに度々電話をかけて自ら同女や被告人の母と対話したり被告人と対話させたりし、時には当時一〇才の被告人の長男を電話口に出させて被告人と通話させたりした。藤原刑事がどのような目的をもってかかる異例の措置に出るに至ったのかについては、なお議論の余地はありうるが、いずれにしても、右は同刑事が、被告人の近親者の影響力をもって、被告人の自白を得ようとしたのではないかとの疑いを招きかねない不当な捜査方法であったといわざるを得ないであろう。

現に、被告人は、内妻の長内から再々「本当のことを言って早くすませてもらえ。」とすすめられたり、別れ話を持ち出されたりして精神的に非常に苦しんだこと、また、電話口で子供と話したりして、動揺し、早く家へ帰りたい一心になったということなどについて、種々供述しているが(被告人供述三一―三〇、三二)、これなどは、藤原刑事の前記のような言動から容易に予測される結果として、素直に理解することができるのであり、前記のような同刑事の一連の措置が最少限度、被告人に対し直接間接に精神的な重圧を与え、取調官に対する当初の抵抗の気力を失わせる一つの事情として働いたこと自体は、動かし難いと思われる。なお、藤原刑事が前記のような言動に出るに至った時期についても、長内供述と藤原供述の間にくいちがいが見られるが、少くとも、前記一連の措置のうちのいくつかは、その性質上、被告人が否認している段階においてもなされたと考えざるを得ず、いずれにしても、かかる事情の存在は全体として、被告人の捜査官に対する自白(警察官の取調べに対するもののみならず右の影響が完全には払拭されていない状態で行なわれた検察官の取調べに対するものを含む。)の信ぴょう性を大きく減殺する事情であるといわなければならない。

被告人の取調べをめぐる叙上説示のような諸般の事情を彼此総合して考察すると、被告人の前掲自白調書については、その証拠能力自体は、辛うじてこれを肯定できるとしても、その核心的部分ともいうべき犯意及び共謀の点において、その信ぴょう性の客観的担保がはなはだ十分でないうらみがあるといわざるをえず、ただちにこれに万全の信を措くのは問題であり、さらにその内容自体に照らし、その信ぴょう性を仔細に検討していく必要があると考える。

(四)  被告人の自白調書中犯意に関する部分の要旨は、前記のとおり、被告人は一一月中旬姜と徳島へ行った際の姜の言動及びその直後の協同ファニチャーにおける姜の言動から、姜らの取込み詐欺の意図がはっきりとわかったというものである。そして、被告人とほぼ同様の立場にあった古賀は、そのころから、現に姜らの意図に気付いていたというのであるから、右二つの出来事(すなわち、姜との徳島出張の件及びその後の姜の言動)は、被告人の犯意を推認するうえで、たしかに重要な事実であったと思われ、藤原刑事が、「古賀が気付いたといっているのに被告人のみは気付かなかったと頑強に否認する。」として、その弁解の真実性を疑ったのにも、一理ないこともないといえよう。しかしながら、右二つの出来事はこれに遭遇したすべての人に対し、姜らの意図を明確に察知させるに足りるほど衝撃的な出来事であろうか。まず、被告人調書及び姜調書から認められる徳島市における姜の言動の要点は、仕入れ先に対し①「半金、半手で払う。」とか「②名古屋には、店のほかに工場があり、③大阪にも、三、四軒店を持っているからお宅のを売ってあげる。④名古屋(の店)は、鉄筋三階建で卸しと小売りをやっている。」などと申し向けたというものであり、たしかに一部事実を誇張していたきらいがなかったとはいえないが、被告人が公判廷において極力弁解するとおり(被告人供述三五―三九)必ずしも客観的に明白な嘘であるとまでは断ずることはできないし、少くとも当時、後記のとおり未だ姜を全面的に信用していた被告人にとって、姜が、この種の取引に伴いがちなかけ引きの一種として通常許容されているところを、明らかに逸脱して、代金支払いの意思を全く有しないままに商品を取込もうとして行なった行動であると看破することがきわめて容易であったとまでは認め難い。またその直後の協同ファニチャーにおける姜の言動にしても、右徳島市におけるそれと大同小異であって右言動により、被告人が姜らの取込み詐欺の意図に当然気付いた筈であるなどとはにわかに断定できないというべきであろう(なお、前掲古賀調書及び古賀供述一八―一〇によると、徳島から帰った後、被告人が姜のハッタリの多い言動に冷汗をかいた旨感想をもらしていた事実が認められるが、右の事実も被告人が姜の取込み詐欺の意図を察知していたことを端的に示すものではない。)。もっとも前記のとおり、被告人と同様、当初においては、姜、石橋の意図を知らされていなかった従業員である古賀が、この時点において姜らの意図を見抜いていたということは一つの問題ではあろう。なぜなら、古賀と被告人の両名は、一方が石橋の元使用人、他方が姜の元使用人という差はあるにせよ同じく姜、石橋らの意図を知らされないまま、同じ従業員の立場で犯行に協力させられていたものであるから、他に特別の事情がなければ、姜の言動により一方が明らかに同人らの意図を察知したのに、他方が全くこれに気付かなかったというのは、いささか不自然であると考えられるからである。

しかしながら、被告人と古賀との間には、同じく協同ファニチャーの従業員であるとはいうものの、その立場にかなり顕著な差異があることに注目すべきである。すなわち、古賀は、かつて石橋の息のかかった協同家具工芸の社長をしていた当時多額の不渡り手形を出して倒産し、そのため石橋の経営する関連会社をも倒産させてしまい、同人からいたく叱責された経験を有し、しかもその当時から同人が多額の負債を抱えた身であることを知悉していたものである(古賀の48・11・21付検察官調書)。従って、古賀がそのような財政的危機の状態にある石橋の行なう事業に対し相当程度の危惧の念を抱くのは当然であるし、かかる危惧の念を抱きながら、前記のような姜の言動に接すれば、その意図を察知することも、さして困難なことではないといわなければならない。そしてまた、古賀が、石橋に対して前記のような負い目を有するとすれば、同人らの取込み詐欺の意図を察知しながら、これに協力せざるを得なくなったということも、理解に困難なことではなく、その意味でこの点に関する古賀の供述は、これを素直に理解することができるのである。これに対し、被告人の場合は、これと大きく事情を異にしている。被告人は右古賀の場合と異なり、石橋の前記のような財政状態を全く知らず、むしろ、協同ファニチャーに就職後は「山二家具の決済を何千万円もしてきた。」などと蒙語する同人の言から、その財政的能力を単に信じ込んでいたと認められるし(被告人供述三五―七二~七三)、姜に対しては、かつて珠のれんの行商をしていた当時取込み詐欺の被害にかかった際に、同人から資金の援助を受けたこともある位で、その資金面における不安を危惧する材料は全くなかったと考えられる(被告人が姜、石橋らの財政的能力を信用していたことは、被告人がその就職の当初から、岡山市から妻子を呼び寄せ、ともに協同ファニチャーへ住込んだという一事からも推認できる。)。そうすると、このように姜、石橋らの財政的能力に何らの不安を抱いておらず、むしろ全幅の信頼をしていた被告人が、姜の前記のような言動に接しながら、古賀と異りその取込み詐欺の意図に気付かなかったということも十分ありうるところであると解せられるのであって、古賀が姜らの意図に気付いていたという一事から被告人も同様であった筈であると直ちに推論することはいささか性急に過ぎるというべきであろう。

(五)  それでは当時、検察官の援用する前掲姜調書、古賀調書のいうように、協同ファニチャーの帳簿づけ等の仕事に従事していた被告人は、その日常の仕事を通じて、同社の経理がきわめて苦しく、仕入れた商品を直ちに他へダンピングしたりしている、その経営の実態に接し、同社がいわゆる取込み詐欺の会社である事実を当然に察知し得た筈であるということが言えるであろうか。たしかに協同ファニチャーが、他から仕入れた商品は、現実には姜の経営する郡山家具センターや石橋の経営する山二家具へ引き取られ、あるいは、仕入れ値を割る値段で他へダンピングされていたのであるから、これらの事実を被告人が的確に把握していたのであれば、同社の経営の方針に強い疑問を抱き、ひいては姜らの意図を看破することができたかもしれない。しかしながら被告人は、姜、石橋の両名に対して当時その財政的能力を全面的に信頼していた状態で、姜から指示されるまま、その方針に基いて商品の仕入れ、販売や帳簿付け等の仕事に従事していたものである。そして、協同ファニチャーの帳簿上、郡山家具センターや山二家具への商品の移動については、「相殺勘定」で処理されており、また、他の販売先へのダンピングについては、帳簿上、ある程度の利益を見込んだ価格で売却処分されたことになっており、現実の売値との差額は、帳簿上そのまま売掛残として残されていたものであって、後述する二回のダンピングの場合を除き、被告人において、協同ファニチャーにおける商品の販売(卸を含む。)が、常時ダンピング方式で行なわれていたことを、帳簿上容易に認識できる状態であったとは認め難いのである。(この点については、古賀供述一八―一七、姜供述二六―一〇~一二のほか被告人の供述調書中に具体的な帳簿の記載との関連において、ダンピングの事実を認識することができた旨の記載がないことなどを参照のこと)右の点につき、前掲姜の検察官調書は、「小林は帳簿づけをしていたので、金銭の出入れや仕入れた商品を仕入原価の三割引か四割引でダンピングし、商品取込みに使う半丸半手の現金は、ダンピング分でまかなうとか、商品は石橋の方に行ってしまい一円の見返りもなかったような状況から、商品を仕入れて手形を渡しても、絶対落ちないということがわかっていたようでした。」との記載があるけれども、右はあくまで、姜の推測を述べたものに過ぎず、被告人がこれらの事実を明確に認識していたことを推認させるうえで高度の証拠価値を有するとは、とうてい言えないし、また、この点に関する古賀の前掲検察官調書の記載はいっそう漠然とした内容でさして考慮に値しないと思われる。たしかにこのような帳簿上の処理はやや変則的なものであると言わざるを得ないからよくよく疑いの目をもって見れば、前記のような姜の言動とあいまち、協同ファニチャーの取引に不正が介在している事実を察知する一つの端緒となり得るものではあったであろう。しかしながら、右はあくまでその程度の意味を持つに止まるものであって、それ以上に姜らに対して全幅の信頼感を抱く被告人に対し、姜らの意図を必然的に察知させ或いはその行為に対する強い疑いを抱かせるに足りるほどの異例な処理であったとまでは認められない。

(六)  もっとも、証拠によれば被告人自身も①昭和四七年一二月六日ころ、丸三製罐から仕入れた衣裳罐を原価を割る値段でダンピングしたこと、及び②同年一二月末ころ、座卓、婚礼セット等をかなり大量にダンピングしたことについては、これを認識していたことが認められる。しかしながら、右①の安売りは、前回大売出しの際、衣裳罐の注文が多かったので、一二月に再度大売出しをかけることを予定し、その売出しの目玉商品として仕入れたもので、当初から安売りが予定されていたものであったのであるから(被告人の49・1・24付警察官調書三項及び49・1・25付警察官調書三項)姜の指示によってその本来の予定どおり安売りが実行されたことに被告人がそれほど重大な疑問を感じなかったとしても、さして異とするに足りない。また、右②の安売りについては、年末の苦境を切り抜けるための一時的な措置である旨姜から説明を受けていたというのであり、その説明に被告人が一応納得したということも十分考えられるし、かりにこの段階で被告人が姜らの真の意図を察知したと仮定しても、右は本件各犯行の実行された後のことであって、そのことの故に右各犯行に対し、被告人が他の共犯者と犯意を共通にしてこれに加担したとの事実を認定することの許されないことは多言を要しないところであろう。

(七)  被告人をして、姜らの意図に気付かしめたのではないかと疑わせる事情としては他に①協同ファニチャーの経営が苦しく、被告人や内妻長内の給料も遅配になっており、時には同社振出しの手形を右長内からの立替金で落としたこともあったこと②協同ファニチャーの当座取引をするための銀行口座の設定が思うにまかせず、倒産歴のある昭和橋商事有限会社の商号を抹消するため、本店所在地を一時移転したうえ、再度名古屋市へ移転するという手の込んだ手段をとっており、右の手続には被告人自身もある程度関与していたこと③被告人に取込み詐欺の前科があること等の諸点がある。しかしながら、右①の点にしても発足直後の小規模の企業にはえてしてあり勝ちなことで、さして異とするに足りないばかりでなく、協同ファニチャーに住込んでいた被告人ら夫婦の最低限度の生活は一応保障されており、長内が一時立替えた金員もたまたま、銀行から「当座の残が足りない」旨連絡を受けた際、姜、石橋との連絡がとれなかったため、臨機の措置として、同女に立替えてもらったというもので(被告人供述三五―二五)その後短期日内に姜から返済を受けていたというのであるから、協同ファニチャーの経営が苦しいということの一事から、直ちに同社が取込み詐欺の会社であることを、被告人が認識し得た筈であるとまではいえないと思われる。また右②の点にしても、姜の財政的能力を信用していた被告人の信頼を一挙に打ちくだくほどの衝撃的な出来事であるとはいえず、該手続がどのような意図、目的をもってなされたのかについて深く考えないまま、被告人がその後の仕入れ行為を行なうということもありえないことではない。前記③の点について考えると、被告人の詐欺の前科は、いずれもすでに十数年以上以前の生活の不安定な独身時代のものであり、本件とは犯行の態様を異にしているのであって(なお、被告人が、右各前科の裁判の際に、事実関係を争った形跡は認められない。)、被告人が、かかる前科を有しているからといって、本件における犯意の認定がそうでない場合よりもゆるやかであってよいということにはならないと考える。

(八)  前記のとおり、被告人は姜の紹介で、協同ファニチャーに就職することとなり、妻子を伴って名古屋市へ来て、鉄筋三階建ての同社のビル内に住込み稼働しはじめたものである。このことは、被告人が、右就職の当初において、姜を全面的に信頼し、何らの危惧の念を有していなかったことを示す一つの事情であるといえるであろう。

ところで、その後被告人が接した前記のような姜の言動や協同ファニチャーの経営の実態等は、その一つ一つを把えて見れば、被告人にとって必ずしも異とするに足りないような事柄であったと考えられるのであるが、それにしても、これらすべての事情を総合して考察すれば、被告人をして優に姜らの意図を察知させ、あるいは、少くとも同人らの意図、行動に不安を感じさせるに足りるものではなかったか、という疑問にはある程度もっともなところがあると考える。当裁判所も、被告人が「年末のダンピングまでは、何らの不安を感じなかった。」とする点(被告人供述三七―二六)については、やや疑問を禁じ得ず、被告人自身もおそくとも一二月初旬の衣裳罐の安売りのころには、姜らの意図にある程度漠然たる不安を感ずるに至っていたのではないかと考えるものである(被告人自身も、逮捕直後の48・11・28付警察官調書一二項において、姜らのやり方が「少し変だ」と感じていたことを認めており、この点に関する被告人の前記のような公判供述には疑問がある。)。しかしながら、被告人が、姜らの意図に漠然たる不安を感じていたということと、姜らの取込み詐欺の意図を察知していたということとは、やはり区別して考えなければならない。被告人の姜への信頼は、前記のとおり相当絶大なものがあったと考えられ、経営が苦しいとはいえ、当時、協同ファニチャーにはなお、二〇〇万円相当の在庫商品があったのであるから、被告人が、姜らの意図に漠然たる不安を感じながらも、「まさか取込み詐欺の意図であるとは思わなかった。」(前掲48・11・28付警察官調書)ということも十分考えられることであって、被告人が、これに止まらず、その内心の意図において姜らの取込み詐欺の犯行を未必的にせよ認識・認容し、しかもなおこれに加担するつもりで前記の各行為に出たと考えるには、証拠上、なお合理的な疑問をさしはさむ余地があるというべきである。

第三結語

以上の次第であって、本件各訴因にかかる詐欺の公訴事実については、その犯罪の証明がないことに帰着するから、刑事訴訟法三三六条後段により、いずれも無罪の言渡しをすることとする。

(裁判官 木谷明)

〈以下省略〉

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